前稿の続き
クラシックやジャズの
手作業による演奏は、
「こういうイメージ、こうしよう、こうしたい」という意思を
直接伝えうる手段で、
聞き手が感じ取るのは、
その人の「こうしよう」という意思そのものであるから、
ではないか?
色々な本を読むのが好きなので、 じっくり読んだ書評を紹介しています。 購入前の参考にしていただければ幸いです。
なぜ人は森林に行き安らぎを感じるのか?
なぜドイツの若者たちはかつて(今も?)思索する場所を
森林に求めたのか?
この自然の普遍性とはどこにその原理があるのか?
これと似たようなことを音楽についてふと感じた。
聴いていてまったく自然で、まるでいい革靴のように
馴染んでくる音楽―クラシック、ジャズ―は、
なぜ何度聴いても飽きず、むしろ落ち着くのか?
あるバイオリンの音色を聴いていて思うところがあった。
「この音色はまるで、森を歩いていて巨木の樹皮に触れるような感じだ」
クラシックは、優雅な「音そのもの」を「手で作り上げている」ことが
根本にあると思う。
一方ジャズは、音やリズムの「アイデア」や「音の空間」を
やはり「手で作り上げている」
ところに、惹かれるところがあるんじゃないだろうか。
投稿者 Mabo 時刻 10:23