2009年5月23日土曜日

メールは1分で返しなさい

神垣 あゆみ 著/フォレスト出版

表題どおり。
ただ、それだけでなく、実は体系的に語られることの少ない、メールにおける適切なルール、礼儀が数多くまとめられている。
その意味で、 早さにフォーカスしたタイトルは、内容の価値を やや表しきれていないかもしれない。

返信の早さ。なぜそこまで返信の早さにこだわるかといえば、受け手の身になってみれば分かる。
先輩でも、即時に返すことを徹底している人がいる。確かに、それを習慣とすると、とても評判が良くなる。信頼度も増す。


個人個人の自由度が増してくる近年のパソコン利用が、ある面では、迷信的な個人個人の”癖”の派生をも許してしまう。
例えば、会社でチームのトップを努める中年社員がいった事に びっくりしたのだけれど、 僕が客先へメールを出した際、 文章をセンテンスや内容のまとまりによって適宜改行したり、 時にはまとまりごとに小見出しをつけたり、箇条書きをしていた のを見て、
「なぜ、恣意的に改行する?そんなのはこうやって 自動折り返しにするんだよ。」 と、得意げにOUT LOOKの自動折り返し表示をして見せた。
メールの通数で言えばはるかに僕よりも書いているはずだけれど、適切なマナーは、数をこなせば身につくものではないということだ。こういう恥ずかしい事を堂々と言ってしまうと、致命的だ。

ちなみに、この本でもかなり始めのほうで、
「1行の文字数は、自動設定の折り返しに頼らず、意味の切れ目のよいところで改行しましょう」
と書かれている。当然、世間ではこれが常識。まあ、読み手になって素直に考えれば分かることだと思う。

たいていのルールや礼儀は、相手のことを考えれば大きく外れることはないけれど、基礎の基礎で評判を落とさないように、 押さえておくのがベターだと思う。

2009年5月21日木曜日

限界集落と地域再生

大野 晃 著/Kochi Shinbun

著者である大野晃先生は「限界集落」という概念を提唱した。
提唱されたのはずっと前だけれど、
近年改めて、中山間地域の問題の全体像を整理している本。
限界集落という概念・定義、実情が明快に示されていて基本を押さえるのによい本。

この本が良いと思う理由として、
「なぜ集落の消滅はいけないのか」
「なぜ過疎は問題なのか」という疑問に対して、明快に回答している点。その回答は、「多面的機能」といったあいまいな逃げ口上でなく、ずばりシンプル。

そのように問題に対する明快な理由が述べられているからこそ、次なる「流域一体としての管理、組織連携」という組織のあり方が有機的な議論として出てくる。

現場で生の情報を得る研究スタイルを大事にしている点でも、とても説得力がある。

問題とその先を見据える真っ直ぐな視点を持った、
”中長期的な新聞”という感じ。

環境倫理―価値のはざまの技術者たち

A.S. ガン, P.A. ヴェジリンド 著、古谷 圭一 訳/内田老鶴圃

環境倫理。

 環境に適用する倫理。

 環境にも倫理観をもって接したら・・・ という、提起。

環境に対しても、人に対すると同じく倫理観を持とう、 というのは、ちょうど、 個人への権利付与に対応して それと同様に無視できなくなってきた団体という存在(主体)に、 社会の中で輪郭を与える法人格とも似ている。 つまり法やルールの拡張。

まったく新しい軸を持とうよ!という提起は、読んでいてワクワクする。

加えて、この本がいいなあと思うのは、 最後に訳者が、著者の考えに対して、 やや首をかしげているところ。 ここら辺、新しい価値観の軸を妄信的に受け入れるのではなく、 日本的な価値観に照らして適切か、と省みているあたり、 健全だと思う。

たしかに、訳者に触発されて見方を変えてみると、 例えば、本文中の事例でとりあげられている裁判のように 欧米ではキリスト教でいう隣人愛の延長として 野生生物への自己投影(同情)というルートが できやすい風潮があるようだけれど、 こういう価値観を環境倫理のスタンダードとするには、議論が必要だと思う。

おそらくそういった意味合いもこめてか、 訳者の「日本的な価値観」に関する言及がちらほら見られる。 そこに、新しい方向の可能性があるのかもしれない。

価値観についても、多様性は自己保存に優位に働くということか。

末尾近くの言葉、「変化しつつある世界において伝統的な倫理が 環境倫理を扱うには不適当なのかもしれない・・・」 という考えが、近年の社会問題を扱う上での土台かもしれない。 そういう意味では、科学におけるパラダイムの転換と よく似ている。