2009年7月6日月曜日

知っているようで知らない 法則のトリセツ

水野 俊哉 著/徳間書店
人間社会において、根底に流れている定理のようなもの。それは決して、根拠のあいまいな精神論ではない、認知科学的な視点での知恵や法則。それらをふんだんに紹介している。 これは、考える際の知恵である「フレームワーク」とは別の、日々を送る「姿勢」のようなものだと思う。

◆好意の互恵性・・・ミラーニューロン。間主観性がキー。そこでは、日本に特有な「空気」感が説明できるかもしれない。
◆コミットメントと一貫性・・・これは後輩の教育に即応用できるばかりか、上司を評価する切り口にもなる。
◆役割を与えることと重要性・・・これは、下位のものへの対処のみならず、上位者についても言える。子供のような大人は、大人を演じてもらうよう手配すれば皆大人になるのだ。
◆「ジョハリの窓」・・・相手自身には見えない部分を明示してあげることの有効性
◆年をとったときの頭のよさとは ・・・つながりを見出す力
◆自分の背景にある思い込み「ビリーフ」を明らかにし、対処する

などなど。盛りだくさんで、辞書のように使えると思う。
もしかすると、聖書は、こういうルールが物語として編みこまれたものなのかもしれない。

地頭力を鍛える 問題解決に活かす「フェルミ推定」

細谷 功/東洋経済新報社

賢さ・・・

身に着けたいけれど、賢さにもいろいろある。本書では、今後求められる賢さとはどのようなものなのか、そして、それにはどうすればよいのかについて、具体的に述べている。

賢さには大まかに3つの方向性があって、それぞれ直行した軸として独立に考えることができる。

 x軸:地頭力

 y軸:対人感性力

 z軸:知識・記憶力

従来の賢さは、z軸だった。しかし今や、インターネットの登場により、z軸の賢さは誰でも手にしうるものに陳腐化した。そこで重要なのが、x軸。これが本書の核となる賢さだ。

地頭力の賢さとは、例えば、

・とっつきのないと思える問題を解く、「フェルミ推定」や、

・目的からブレイクダウンする考え方、(言い換えればバックキャスティング)、

・手段の目的化という陥りやすい誤りへの警告と、そうならないためのポイント

・本質をつかんでいれば、要するにそれは何なのかは30秒で説明できる

・仮説を立てる際は、芸術家的な奔放さで


などなど、「フレーム」といわれるものや考え方の型みたいなもの、つまり先人たちの「考える知恵」を駆使することだ。演繹的思考と帰納的思考の使い分け、組み合わせについても述べており、どうやらこの「アブダクション」というのは、近年の、思考における一貫した「知恵」の道具であるらしい。


最後には、「x軸で考えて、y軸で行動する」ことを勧めている。これは、こと人的ネットワークの重要な現代においては、必然ともいえる。

2009年6月17日水曜日

そうだ、葉っぱを売ろう! 過疎の町、どん底からの再生

横石 知二 著/ソフトバンククリエイティブ

「仕組みに組み込むことが大事だよ」

横石さんのよく言われる言葉だ。 葉っぱという何でもないものに目をつけて、それこそが価値ある地域資源だと認識して”売り”とし、地域の経済効果と同時に高齢者の有効活用を実現し、最終的には地域に”誇り”を取り戻した、希少な成功例。

横石さんの言葉には、短いながら含蓄がある。仕組みについても同様で、それは「環境というのはそれだけをやろうとしてもだめだ」、という言葉にも通じている。


また、任天堂の社長とも懇意で、社長とよく話が合うということが示しているとおり、この「上勝町の葉っぱビジネス」は、紛れもなくブルーオーシャン戦略の適用・成功事例だ。シルク・ドゥ・ソレイユにも代表されるブルーオーシャン戦略の描く戦略キャンパスを、おそらくは気づかないうちに実現してきた、そういう例なのだと思う。

仕組みに組み込むこと。これがミソだと思う。

日本の未来をつくる―地方分権のグランドデザイン

NPO法人日本の未来をつくる会 編/文藝春秋

日本のグランドデザイン、いわゆる道州制に関して、様々な議論を提示している本。

この本は、ある建築家が中心となって、他のさまざまな分野の識者たちがそれぞれの見地から国のあるべき姿を展望している。

巻頭から前半しばらくにわたっては、これまでの日本の発展の経緯と、その要所、そして現在へとつながる経路の中で、どこでおかしくなってどんな問題が生じているのかを俯瞰的に整理している。

こういう整理はとても解りやすい。例えば、現在の問題構造を端的に表す、

・「国(の出先機関)と県の2重行政状態」や、

・「地方は都市(中央)に人的資源を供給し、都市(中央)はその見返りに地方に交付税等の財政的補填を施してきた」

など。前者は、今話題の直轄負担金問題につながり、まさに日の目を見ている話でもある。また県(県庁)の存在意義について 取りざたされている実情にも言及するものである。後者は、まさに現在の構造そのもの。

ただ、提唱者たる建築家の論説部では、建築上のある概念のみを重用して、それが普遍的に国家論に応用できることを唱えているが、なぜその概念を適用するのかについて必然性がない。類似性からそうしているというのであれば、建築分野に限らずとも他によいアナロジーはいくらでもある。加えて、国には”入れ物”としての見方以外に目に見えない「経営」という切り口もあるのだから、建築至上で何でも片付けるといのは視野が狭く、粗雑に論じている感がある。

ただ、国土のグランドデザインというのは、やはり今後必要だ。それも近い将来に実現するような具体的な国土像が望まれている。

そうした中で、一線の識者が、国土のグランドデザインについて杖先を示したのは、よいことだと思う。今後も、国の要職にある人たちは、大きな、長い目で国の仕組みの方向性を指し示してほしい。

それが仕事だろ。

2009年5月26日火曜日

デザインを科学する 人はなぜその色や形に惹かれるのか?

ポーポー・ポロダクション/ソフトバンククリエイティブ

デザインとは何だろう。

なくてもいいが、あると生活がとても豊かになるもの。ちょうど、音楽のように。時には、意識を触発して、行動のきっかけにもなりうるもの。
・・・だと思う。
この本には、そうした、デザインにより意識に生じる傾向や、ある業界には知られている経験則、よいデザインのコツや、積極的利用法までがぎゅっと詰まっている。

なお、人間がデザインに対してなぜそのように反応するかは、脳科学的に謎が多く、ほとんど解っていないらしい。そういう意味では、この本は視覚刺激の体系的なリアクション全集、といったところだ。

本書を読んでの応用先は、毎朝のネクタイの色の選択から、戦略的に顧客を消費行動に駆り立てるための技までと、本当に幅広い。

 自分の意思を効果的に伝えるには?
 よい印象で伝えるには?
 それをより長く記憶に残すには?

デザインは、
人間が何を見ているのか、ということの鏡だと言える。

コンサルタントの習慣術 頭を鍛える「仕組み」をつくれ

野口 吉昭 著/朝日新聞出版

日々自分に投資となるような、よい習慣をもちたい。
では、習慣化する、持続的にするには・・・
そういった、良い「仕組み」を作るということの有意義さと、
様々な局面ごとの実践法について、著者の経験を交えて述べている。
例えば、ごくシンプルな原理、「楽しくなければ続かない」をもとに、やっていて面白い、と思えるための方法や、それに関するモデル化と応用が紹介されている。
「百段階段」のモデルは、本当に何にでも応用可能。ここらへんの記述は、フロー理論につながっていると思う。

考える習慣 の部分では、たとえば「論理的指向の末のコンセプト思考」。これは、池上彰氏の言うところの、「帰納的に情報収集し、緩やかな演繹性でまとめる」や、系統樹的思考(アブダクション)に通じる。

耐久力を強める 仕組みとして、「自分を支えてくれる人物やチームに気づく、作ること」も、僕は明確に意識し始めた。

そしてリーダーに関する2つの力
 ・ビジョン力
 ・マネジメント力。
この2つで周囲の人々を評価してみると、ずばり的確にチームのリーダーについての問題点をより建設的で具体的な要求事項としてあげることができるようになる。時としてそれはもっとドラスティックに、適切な場を探す動機付けになるかもしれないし、近未来の自分のために刻む言葉になるかもしれない。そういう、自己改善につながる仕組みとも言えるかもしれない。


仕組みに組み込んでしまって自然に回るようにすることの重要性については、「はっぱビジネス」の横石知二さんも言っている。仕組みというものを、広範かつ遍在可能なものと考えて、取り入れるチャンスになる本。

2009年5月23日土曜日

メールは1分で返しなさい

神垣 あゆみ 著/フォレスト出版

表題どおり。
ただ、それだけでなく、実は体系的に語られることの少ない、メールにおける適切なルール、礼儀が数多くまとめられている。
その意味で、 早さにフォーカスしたタイトルは、内容の価値を やや表しきれていないかもしれない。

返信の早さ。なぜそこまで返信の早さにこだわるかといえば、受け手の身になってみれば分かる。
先輩でも、即時に返すことを徹底している人がいる。確かに、それを習慣とすると、とても評判が良くなる。信頼度も増す。


個人個人の自由度が増してくる近年のパソコン利用が、ある面では、迷信的な個人個人の”癖”の派生をも許してしまう。
例えば、会社でチームのトップを努める中年社員がいった事に びっくりしたのだけれど、 僕が客先へメールを出した際、 文章をセンテンスや内容のまとまりによって適宜改行したり、 時にはまとまりごとに小見出しをつけたり、箇条書きをしていた のを見て、
「なぜ、恣意的に改行する?そんなのはこうやって 自動折り返しにするんだよ。」 と、得意げにOUT LOOKの自動折り返し表示をして見せた。
メールの通数で言えばはるかに僕よりも書いているはずだけれど、適切なマナーは、数をこなせば身につくものではないということだ。こういう恥ずかしい事を堂々と言ってしまうと、致命的だ。

ちなみに、この本でもかなり始めのほうで、
「1行の文字数は、自動設定の折り返しに頼らず、意味の切れ目のよいところで改行しましょう」
と書かれている。当然、世間ではこれが常識。まあ、読み手になって素直に考えれば分かることだと思う。

たいていのルールや礼儀は、相手のことを考えれば大きく外れることはないけれど、基礎の基礎で評判を落とさないように、 押さえておくのがベターだと思う。

2009年5月21日木曜日

限界集落と地域再生

大野 晃 著/Kochi Shinbun

著者である大野晃先生は「限界集落」という概念を提唱した。
提唱されたのはずっと前だけれど、
近年改めて、中山間地域の問題の全体像を整理している本。
限界集落という概念・定義、実情が明快に示されていて基本を押さえるのによい本。

この本が良いと思う理由として、
「なぜ集落の消滅はいけないのか」
「なぜ過疎は問題なのか」という疑問に対して、明快に回答している点。その回答は、「多面的機能」といったあいまいな逃げ口上でなく、ずばりシンプル。

そのように問題に対する明快な理由が述べられているからこそ、次なる「流域一体としての管理、組織連携」という組織のあり方が有機的な議論として出てくる。

現場で生の情報を得る研究スタイルを大事にしている点でも、とても説得力がある。

問題とその先を見据える真っ直ぐな視点を持った、
”中長期的な新聞”という感じ。

環境倫理―価値のはざまの技術者たち

A.S. ガン, P.A. ヴェジリンド 著、古谷 圭一 訳/内田老鶴圃

環境倫理。

 環境に適用する倫理。

 環境にも倫理観をもって接したら・・・ という、提起。

環境に対しても、人に対すると同じく倫理観を持とう、 というのは、ちょうど、 個人への権利付与に対応して それと同様に無視できなくなってきた団体という存在(主体)に、 社会の中で輪郭を与える法人格とも似ている。 つまり法やルールの拡張。

まったく新しい軸を持とうよ!という提起は、読んでいてワクワクする。

加えて、この本がいいなあと思うのは、 最後に訳者が、著者の考えに対して、 やや首をかしげているところ。 ここら辺、新しい価値観の軸を妄信的に受け入れるのではなく、 日本的な価値観に照らして適切か、と省みているあたり、 健全だと思う。

たしかに、訳者に触発されて見方を変えてみると、 例えば、本文中の事例でとりあげられている裁判のように 欧米ではキリスト教でいう隣人愛の延長として 野生生物への自己投影(同情)というルートが できやすい風潮があるようだけれど、 こういう価値観を環境倫理のスタンダードとするには、議論が必要だと思う。

おそらくそういった意味合いもこめてか、 訳者の「日本的な価値観」に関する言及がちらほら見られる。 そこに、新しい方向の可能性があるのかもしれない。

価値観についても、多様性は自己保存に優位に働くということか。

末尾近くの言葉、「変化しつつある世界において伝統的な倫理が 環境倫理を扱うには不適当なのかもしれない・・・」 という考えが、近年の社会問題を扱う上での土台かもしれない。 そういう意味では、科学におけるパラダイムの転換と よく似ている。

2009年4月11日土曜日

農協の大罪

山下一仁 著/宝島社
農協、農水族議員、農水省のトライアングル=政治構造を挙げ、本来は農業振興目的であるはずの組織や仕組みが 自己目的的であると明確に指摘している。
現在の日本の農政が、専業ではなく兼業農家のための、しかも農業とそれに従事する人ではなく「農家戸数」を確保することを至上としており、『農協は金融機関である』という明確な指摘は、「農協ってどういう組織なんだろう」と素朴に思ったことのある人に、本質を伝えると思う。

すばらしい的確な指摘だと思ったのは、「農業のいわゆる”多面的機能”が経済学で言うところの”外部経済”にあたるというのであれば、それは市場原理による価格とは 別の原理である財政負担でまかなうべき」というところ。
農林水産業の多面的価値については、いろいろなところで語られているその説明を一つずつ見ていくと、突っ込みどころが満載である(ほとんどが自己目的的)ことを、この一文が総括している。

まち歩きが観光を変える―長崎さるく博プロデューサー・ノート

茶谷 幸治 著/学芸出版社
長崎の町をさるく(ぶらぶら歩く、ほっつき歩く)という観光の仕組み。
この町歩きは、どのコースにも物語が伴っていて、しかも地元の人の人生が入り込んでいるので、その物語は血の通った疑似体験にように記憶に残る。

この本を読むと、”さるく”立ち上げからその一つの極大期である「さるく博」までの経緯が、本当に一連のドラマだったことが分かる。

「人に歴史あり」ということと似ていて、物語こそがそこにある、それが価値なのだ、と思った。

科学者の9割は地球温暖化CO2犯人説はウソだと知っている

丸山茂徳 著/宝島社

現在大勢を占める科学的知見と反して、寒冷化を主張している。この本は、結局何がいいたいかというと、

・温暖化は科学者にとって自己目的的な詭弁だ

・環境問題の本質は人口問題だ

簡単に言ってしまえば、いろいろな分野が細分化して相互の交流が難しくなり、そのため、こと科学においては諸分野が自己目的的な、保身のために、詭弁を正当化しようとする動きがある。温暖化論はそれに過ぎない、ということが本論なのだろう。でも、いまや相互に交流ができないと自ら言及している他分野を あえていとも簡単に縦横無尽にかいつまんで、「石油の無駄遣いだから、地方地域や個々の人家は 地方都市の主要駅の駅前にピラミッド型集合住宅を 建てて住むのがよい」とか、「太平洋戦争は母親が起こした」 という説明は、多くの人にとって受け入れがたいと思う。 また、話の展開も、

温暖化ではなく寒冷化↓

寒冷化すると、石油の枯渇が問題↓

そもそも石油の枯渇は・・・↓

人口問題↓

そもそもの原因は国家論

というもので、論理が飛躍しすぎている。そして、肝心の「寒冷化」に対する対策は書かれていない。おそらく、これまでの対症療法的な対策への 反省もこめて、このような「そもそも論」を展開しているのだろうけれど、上記のような展開では飛躍しすぎているので納得しがたく、説得力が感じられない。

でも、「農業形態のグランドデザイン」や、人口に関する長期的展望と対策は確かに必要だと思う。だったら、科学者の見地から寒冷化に対する対策と、必要となる他分野での対策への協力要請、という形で提示してほしい。科学者として真剣に寒冷化を主張するならば。

[非公認] Googleの入社試験

徳間書店

試験官が何を求めているのか、それが重要となる。

スキル的には数学や物理、Web、プログラミングの知識、基本として大事なのがGoogleの理念、そして欠かせない独創性。

いろいろな立場の回答例も載っていて、どれも考え方が面白い。いい刺激になります。

最後の授業 ぼくの命があるうちに

ランディ パウシュ, ジェフリー ザスロー 著/ランダムハウス講談社
著者は先月亡くなった。
海外の格言の中には、日本ではズバリ言い当てられていないような、 シンプルに本質を突くものがある。 たとえば本書の、「部屋に象がいたら、まず象を紹介しなさい」など。
特にこの本はタイトルどおり最後の授業なので、良質のそれらがちりばめられている。

「なぜ生きる」という問いがあるとしたらこれから長くは生きられない人こそがそれに近づく説得力ある話をしてくれる、と感じた。

ブータンに魅せられて

今枝 由郎 著/岩波書店
GNH=国民総幸福 この概念で世界から注目されるブータン。
この概念は早くも1976年には謳われたらしい。本書の6割くらいは、著者がブータンでの10年の生活で感じたブータンの人々の気質、生活の雰囲気についての記述。興味深かったGNHについては最後の方に出てくる。
読む前の期待感では、ブータンはGNHについて、どんな知恵を使って国の制度に落とし込んでいるのだろう、というものがあった。本文の記述によると、そういう制度的なものではなく、 ブータン国王もこう述べているらしい。
「『幸福感』とは非常に主観的なもので、個人差があるため、 国の方針とはなりえない。正確に言うなら、国民一人ひとりの『充足』である。充足感を持てることが人間にとって最も大切である」
つまり、具体的な手法で国全体の進捗を評価するGDP のような明確な体系はもたない。本書ではより推し進めて、その方針とは以下のような問いを発し続けることだ、と述べている。
(あらゆる行為、活動に際して)「それがあなたが人間的であることに対して どういう関係があるか?(寄与するか?)」

感想として、GNHという制度があることへの期待感がいい形で裏切られたことが、興味深かった。科学技術や経済原理は、いうなれば誰しもに通じる共通言語だ、と思っていてそれは正しいと今でも思うが、唯一のものではないということに気付かされた。

他に面白いのは、ブータン通産省の会議において、国外への 輸出品目を検討した際、ある官僚から「ブータンが誇る”良質の時間”はどうか」という提案があったということ。言葉尻だけからの厳密性は保留しておいて、こういう発想が出てくることは非常に面白い。また、水源涵養林としての森林の意義を「電力施設としての森林」と早期に捉え、国の7割が失われる前にその価値を明確化したところは、先走って失敗した先進国に学んだ賢い例である。また、近年近代化が進みつつあるブータンの、途中をすっ飛ばして一気に携帯電話普及、とか、衛星電話普及、とかいう潔さには、賢明さを感じます。